
ハンバーガー屋
バイクに乗るのことが好きであり、趣味である。同じ趣味を持った人たちが集まれる場所を作りたい。現在22歳ですが、気持ちは子どもであるため、今の夢、やりたいことを書きました。

畑のおばさん
小さい頃、友達のおばあちゃんの家に泊まらせてもらいました。そのおばあちゃんは畑で野菜を作っていて、自分で野菜が作れる事にびっくりしました。でも、その夢を幼稚園で発表すると、皆に笑われてしまいました。恥ずかしい事なのかな?と小さい私は思ってしまいました。でも今は、とても良い夢だったと思います。

古代遺跡の発掘
夢はエジプトで古代遺跡の発掘作業と、イタリアに住むこと。
高校の時、その話をバイト先の先輩に言ったら、そういう野望はいい!もし叶わなくても、野望なのだから一生大事にしな!と言われ、なぜか誇らしく思いました。
そしたら、ミラノでの仕事が決まり、約半年住むことができたので、もしかしたらいつか、エジプトで発掘作業できる日が来るかもしれません!!

ハワイに行く
小学生の時にハワイに行きたかった。友達を巻き込んで毎月300円の積立てをしていました。

電車の運転手
私ではなく、現在40前になる息子の夢で恐縮でございますが、今日鮮明に思い出しまして懐かしいやらで書かせていただきました。
私が小さいころ住まいが駅と駅の丁度中間地点にあり、夕方になると河川敷(河川敷というほどではなく、水が流れていない場所です)で通過する電車を眺めていた事を息子に話していました。息子も小さい頃からよく電車を見に行きたいと言い連れて行ってましたら、僕電車の運転手になりたいと何度も言ってきまして電車にみんなを乗せたいと。本人は違う方向に進みましたが、子供と見た風景、自分が子供のころ見た風景が懐かしくて書かせていただきました。

消しゴム
小学生のとき、練り消しが流行っていて、人気者になるため消しゴムになりたかった。

ヒーロー
戦隊モノのリーダーが好きで弱い者の味方でどんな時でも守る姿に憧れていて、今もその姿が理想であり夢。今はアパレルの店長でスタッフを守れる様に努力している。

医師
幼稚園の頃お医者さんになりたいと漠然と考えていましたが、大きくなるにつれて現実的ではないと諦めました。ですが高3の年に入院したことをきっかけにまた医者の道を目指すことにしました。まだ勉強中の身ですが夢を叶えれるよう頑張ります。

王子様とダンス
ヨーロッパの綺麗なお城での舞踏会に出席してかっこいい王子様とダンスする事が夢でした。ベルサイユ宮殿に行って、ガラスの間で一瞬ポーズをとってみました。

アナウンサー
大学生になって、1社だけアナウンサー試験を受験。書類審査を通過したものの、原稿読みのテストで「左バッターボックス」を4回連続で噛んで試験終了。夢は左バッターボックスに消えました。

キャビンアテンダント
父親が仕事の関係で海外出張に行くことが多く常に伊丹空港まで送迎に行っていました。
英語を話して颯爽と小さな私の前を歩いて行かれるキャビンアテンダントさんはとてもキラキラしていて憧れの職業でした。
今もその憧れは消えていません。

看護師
小さい頃に入院したことがあり、当時担当してくださった看護師さんが一緒に遊んでくれたりしてくれてこんな風に誰かの寂しいに寄り添えるようになりたいと思ったから。
熊本地震の際にテレビで災害時派遣医療チームの看護師さんが現地でとてもテキパキ働いている姿を見て憧れたから。
そんな今、私は看護学生として夢を叶えるために勉強に励んでいます。

透明人間
透明人間になれる薬を発明する科学者になり、自分がその薬を飲んで透明人間になり、世の中に起こる事件を未然に防いだり、困っている人を助けたいと思った。
少年が透明人間になっていろんな事件を解決していくという童話を読んで、自分も透明人間になりたい、いや、なれると思い込んでいた。

声優
私の両親は全盲で、目が見えません。
そのためTVではなくいつも家の中はラジオが流れていました。
もし大きくなってそのラジオから私の声が聴こえてきたら母はきっと喜ぶだろう。そうだ、声のお仕事をしよう!
小さな私は「声優」という職種は知らなかったはずなのにそう心に決めた事を今でも鮮明に覚えています。

社長
お父さんの会社の社長です。私の成人式前に、年末会社に呼び出され「年明けには、会社が倒産するかも知れない」と告げられて、必死に仕事の受注に走り、何とか無事成人式を迎えれて、来年で40周年になります。亡き父親には、今でも感謝して、会社が苦しい時に、父親を思い出して、今でも現役で頑張っています。

テレビに出る
私は小さい頃からテレビを見ることが好きで、特に小さい頃は幼児向けのテレビ番組を見てました。いつの間にか、幼児向けのテレビ番組に出てみたいと思っておりました。
今は小さい頃からテレビが好きが続いて、プロデューサーを目指し、大学に通っています。

獣医師
祖父が獣医師で往診や診察の様子や、動物たちを助けるおじいちゃんを小さい頃から身近で見ていてとてもかっこよくて、いつか動物たちを助けたいと思っていました。

チアリーダー
大学でアメリカンフットボールのマネージャーをしていた姉の影響で試合を見に行ったら、横で踊っているチアリーダーのお姉さんがかっこよくて、小学生の私はチアリーダーを目指すことを決めました。
その後、姉からチアリーダー部のティシャツをもらったり、ダンスのレッスンへ行ったり、今もダンスを続けるきっかけになりました。

宇宙飛行士
今見えている星は、自分が生まれていない時の姿、今存在する星はいつか自分の子孫が見る姿、と教えてもらった時、今存在する星を自分の目で見てみたいと思った。

おばあちゃん
おばあちゃんになること、です。
子供といえないかもしれませんが、私は高校生の時に母を病気で亡くしました。おばあちゃんになれなかった短い人生だった母。それから私は、当たり前になれないと知ったおばあちゃんになるのが夢になりました。子供がいて、孫がいて、年老いた私が真ん中にいるのが…10代からの夢です。

文房具屋
祖母が町の商店街の中で文房具屋を営んでいました。
そのお客さんたちと関わる祖母の姿を見て、わたしも将来はこの文房具屋をつぎたいと思っていました。

絵描き
幼稚園の頃、画用紙に「えかきさんになりたい。」と大きな字で書いて、山の前に座ってベレー帽をかぶった自分を描きました。
現在52歳ですが、同じ気持ちで夕陽をみています。

緑になる
小さい頃から緑色がほんとに大好きで愛してやまないです。

パリコレモデル
ファッションが好きで最先端に行きたいと思っていました。叶えるために効果があるのかは分かりませんが分厚目の本を頭に乗せて落とさずに歩く練習などしてました。

大型トラックの運転手
父が長距離トラックの運転手で、東映映画「トラック野郎」を小学校低学年の時に見て、菅原文太達の仲間思いで豪快な生き方に感動した。

猫と話せるようになる
我家は猫を沢山飼っていたので、喋れたらいいなと思っていました。小1のとき、私を主人公に『猫と話ができる少女』という童話を友人が書いてくれました。猫と仲良くしてるので、もしかしたら友人には喋れるように見えてたのかもしれないです。

父
父の日の送ったプレゼント、似顔絵やお手紙。今では自身が貰う父になりました。父の背中は大きく広く、自身の有り様は父には遠く及びませんが、父として今を全力で楽しんでいます。

死海で読書
私は読書が大好きです。
世界中の色々な場所で1日中読書をして過ごしたかったです。
死海にプカプカ浮かびながら読書できたら楽しいだろうなと思っていました。
死海で読書をしながらお花のジュースを飲んでみたいです。

美容師
亡き叔母が美容師でした。私の夢と言うより、叔母が姪である私に将来は自分の後継者として私に夢を託しました。
しかし、私が高校三年生の時に仕事に向かう途中に交通事故に遭い、呆気なくこの世を去ってしまいました。
最期に叔母に会った時、お店は貴女に任せたので宜しくね。と言い遺していました。叔母が亡くなった直後は美容師になるか少し迷いましたが、その言葉を思い出し高校卒業後は美容専門学校に行きました。
それから40年以上が経ち、今では立派?な美容師になりました。後継者としてではありませんが、この仕事を叔母から引き継ぐ事が出来て良かったと思ってます。

地図に残る仕事
パワーショベルなどの重機械に乗って道路を作ったり橋をかけたいと思ってました。

スイスに行く
アルプスの少女ハイジが大好きでスイスに行ってみたかったです。
大自然の山の上の湖や、木の温もりがいっぱいの山小屋の暮らし、麓の町での暮らし美味しそうな湧き水やチーズのとろけたパンが美味しそうでとても憧れていました。

建築士
小学生の頃、暇があれば紙に自分が好きな間取りを書いて楽しかった。

本屋
子どもの頃、本が好きで、駅前の小さな本屋さんに行くことが楽しみでした。本に囲まれてレジカウンターにいるお姉さんが憧れの存在でした。買うのはいつも少女漫画雑誌でしたが、書店の名前の入った紙袋に入れてもらうのがとても嬉しくて、紙袋のにおいを感じながら店を出たことを覚えています。今でもたまに紙袋に入れてくれる本屋さんがあると、その頃の気持ちを思い出します。いつか機会があれば、ぜひ本屋さんで働いてみたいと今でも思っています。

鉄道車輌の製造
自宅の近くをJR線が通っているのですが、子どもだったある日、いつものように眺めていた所…秋田新幹線こまち号で使用される車両が神戸から遠く秋田県まで在来線を使用して輸送されていく所に遭遇しました。
子供ながら凄いインパクトでした。
それから、どこで造ってどのようにして輸送して行くのか…
そして…好きな鉄道車両の製造に携わりたいと思って、どうすればその仕事に就く事が出来るのかを調べてその道を自ら開拓していきました。
今はその夢を叶えて、世界中の電車の製造に従事しています。

プロレスラー
トラのマスクのキャラクターに憧れて金曜日8:00はワクワクしながら見てました。

陶芸家
小学校時代に、グニャグニャの粘土で作った長靴が、電気窯で焼かれてお店で売ってるような陶器になったのか不思議で、それまでの紙粘土やボール紙で作った物とは違い、半永久的に使える物が、自分でも作れるたのに感動しました。

小学校の先生
小学校低学年のときの担任の先生が1年間かけて全員、誕生日の子に折り紙でケーキを作ってプレゼントしてくれていてとても嬉しかった。私も思いやりのある優しい先生になりたいと思った。今思っても先生にできる最大限のお祝いをしてくれていて記憶に残るとてもいい先生でした。

プラモデル屋
暇なプラモデル屋の店主になり、毎日、プラモデルを作りたかった笑

イラストレーター
今は亡き父が、私が絵を描くといつも褒めてくれていた。
市の推薦に選ばれた時、小冊子に応募して掲載された時など、他の作品よりも一番いいぞと褒めてくれていた。
私が何気なく書いた絵をずっと自分の部屋に飾ってくれていた。

幼稚園の先生
55年程前、幼稚園の入園式におたふく風邪のために欠席となり 2週間遅れで登園した私は、今とは別人でとても引っ込み思案な女の子でした。
遅れて登園した私に意地悪する女の子もいました。
とてもいやな幼稚園生活でした。
そんな私にとても優しく接してくれたK先生のことが忘れられず、小学生の高学年の頃からK先生みたいな幼稚園の先生になりたい!と思い続け、幼児教育科に進学して 念願の『幼稚園教諭』になり 結婚するまで勤めました。
今では、引っ込み思案だった私が、先生職についたことをK先生伝えたい!と言うのが夢です。

作家
Sくんは作家になれるよ!
日記帳に赤いペンで書かれた先生の言葉に小学生だった僕は目を輝かせた。
金曜日の終わりの会では、先生が選んだその週の一番楽しかった日記をその日の日直さんが読んでくれることになっていて。僕の日記はよく選ばれたのですが。字が汚な過ぎて日直さんが読めなくて、結局自分で読むハメに(笑)
自分の才能が初めて認められた嬉しさでいっぱいの小学校生活を過ごさせていただきました。当時の先生に今も感謝しています。
結局…そのまま普通のサラリーマンになってしまいましたが…。

お菓子の家に住む
小さい頃ヘンゼルとグレーテルの絵本が大好きでお菓子の家に自分も住みたいなぁと思っていました。
大きなお菓子の家はできなかったけれど、ビスケットや飴やチョコレートなど家にあるお菓子で兄と一緒に家を作り、小さな人形を中に入れて「この家が本当に大きかったらビスケット一枚でお腹いっぱいになるよね」って話したり想像したりしていました。

大工
家を作ってる大工さんをたまたま見かけてその時小一時間ほどずっとながめていた。

ダンサー
スクールメイツに入って芸能人の後ろで踊りたかった。いつも主役の歌手ではなく、後ろでボンボン持ってダンスしている人達を、いつもみていました。

大食い選手
小学生の頃、大食い選手が活躍する番組を見て、ご飯を食べて有名になれるなんて自分に最適な職業だとおもった。

温かい家庭を持つ
私が育った家と同じような温かい家庭を持つことです。
私の父と母は、私達姉妹には何事も不自由なく育ててくれました。それは、戦争を体験した父と母が子供の頃、すごく貧乏で苦労したからだそうです。時代は、変わりいつの時代も子供を思う気持ちは変わらず、私も結婚して子育てをして、両親のありががたさがわかる人になりました。

たこ焼き屋
近所にたこ焼き屋さんがあり、小学校の頃、土曜日の昼ご飯はたこ焼きを買いに行ってました。とても美味しくて、私もこんな美味しいたこ焼き屋さんに絶対になりたいと、憧れました。もちろん家で、吉本新喜劇を観ながら食べてました。

ジャーナリスト
高校生の頃、学校の図書室でロバート・キャパのベトナム戦争の写真集を見て、世の中でおきている事を伝えたいと思ったからです。

花屋
子供の頃、野の花を摘んで並べてごっこ遊びをしてました。
それを見てた母が私に生け花を習わせてくれました。今は花に関わる仕事をしてます。